【4】自身に対する同性愛者としての失望

ということで、私は職場で同性愛者として差別を受けたことがあります。

 

現代の言葉で言うと、アウティング(暴露)も受けたことになるのかな。
自分でもっとうまく対応していたならば、うまく彼女に嫌われず立てることができたならばと、人を責めることができない性格の私は、自分の人間性や人格を責めたものでした。

さすがに、自分の人生はもう終わりだと思いましたが、
1年目で異動してきた私を不審に感じ、新職場の所属長は調べていたのでしょう。
異動した初日に、「ここに差別はない。だから思いきり(仕事を)やれ」そう言って、社内政治や会社の仕組みなど、知識を教えてくれました。

 

当時ブログを通して関係があった人たちには、
自分の身に起こったこのことは、恥ずかしくて相談することができませんでした。
まさか自分が、あの職場で、こんな目にあうなんて。笑
自分の性格が悪いんだとも思い、ブログも現実生活もめちゃくちゃになった時期がありました。
後悔や悔しさや惨めさや、いろいろな感情がありました。

 

 

あの日から、もう随分と月日が経ちました。
LGBTの認知も始まり、関する職場研修も行なわれるようになりました。
もし今の職場で私がカミングアウトをしたとしても、表向きに差別する人は誰もいないでしょう。
だけど、今は誰も私がビアンだとは知りません。
私はこの多くの人の中に隠れています。
何食わぬ顔で、ビアンをまるで別の人であるかのように見ているのです。

だからこそ聞こえる声があって、それが個人や行政や関係団体の本音と、建前です。

 

そして考えるのです。
もし私がカミングアウトをして、隣の席の子が別の課の人に「隣の上司、同性愛者なんでしょ?」とか、
「課に同性愛者がいるって本当に?」そんなことを言われたらと思うと、慕われているからこそ申し訳なくて、カミングアウトはできません。
社会制度も揃っていませんし、まだまだ私個人がカミングアウトをできる時ではないと考えています。

だけど、ここに書くということは、また誰かに私を見つけられるかもしれません。
そして思いもよらないところからアウティングがあり、
カミングアウトに至るのかもしれません。
それについて、実は覚悟と不安に揺れています。
もしもいつか私に気づいた人がいたならば、そっとしておいてくださるとありがたいです。

 

 

ネット上のみなさんは、次々にカミングアウトをして、素敵なカミングアウト済みの生活を送っているように見えます。
顔を出して活動している方も多くおられます。
その方たちを見ていると、カミングアウトをしていない自分は、とても不甲斐なく思えるでしょう。
皆さんは戦っているのに、なぜ私は隠れて、戦っていないのだろうと。
私も、ずっと思ってきました。

でもね、時代の流れに乗って不安を抱きながらカミングアウトをして、追い詰め、追い詰められる思いはしなくていいんだと思うのです。
カミングアウトは、人それぞれする時期が、きっと現れます。職場環境や交友関係が整ったらできるかもしれません。

台湾の同性婚合法化も、これから大きな流れを日本にもたらすのでしょう。
その時こそ、本当に戦うときです。

カミングアウトのタイミングは、あなたと、聞く相手の準備が整った時であって、
その時までは辛いけど、それ以上の辛さを急いで経験しなくてもいいんだと思う。
だから隠れてたって、大丈夫。
今だって充分戦っているでしょう。
隠れていたって、ビアンでいたって、それでいいんだと、私は思っています。

 

 

私も経験しているから思うことです。

私が受けたような差別を経験するLGBTの人が、1人でも少なくなって欲しい。
でも先にも書きましたが、差別を無くすことだけが目的だとは、私は思っていません。

これから生きる若い同性愛者の彼ら、彼女たちが、
少しでも早く自分を認め、生きやすい世の中になるように、心から願っています。

 

 

 

 

おわり




つづく。



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