【7】友達探し

このカテゴリー記事はまだ続いていくのだが、
私は何人かとメールを交換する間に、徐々に友達という関係を探すことを諦め始めた。
理由は、『同性愛者の友達』がいったいどんな存在なのか、わからなくなったからだ。

実はいまでも、よくわからない。

私が欲しい「ビアンの友達」とは、どういう関係の人なんだろう。

ブログにコメントを交換し知り合う人は、「友達」なのだろうか?
ツイッターで会話する人は「友達」なのだろうか?
顔も知らない、声も知らない。
まして、相手の過去も、現在も、ほとんど何も知らない。

メールやネットを通して出会うため、
知っているのは、その人の長い人生のうちの、ほんの一部を費やして書かれているネットの文字配列だけ。

ならば、会って会話をできる人が「友達」なのだろうか。
自分の気に入ることを言ってくれるのが「友達」なのだろうか。
一緒に遊びに出かけることができる人が「友達」なのだろうか、と。
困っているときに助けてくれる人が「友達」なのだろうか。

私は、友達のために、何をしてあげることができるのだろうと。
そして、友達は、私のために何をしてくれるのだろう。
一体、どこまでお互いに相手の本質を見ることができるのだろう。

私は、単に友達に恋人の影を見ているのではないだろうか。
ずっと私を認めてくれて、”去っていかない存在”を探しているのではないかと。

でも徐々に気づくことがあって。
ほんの一部の人生でも、相手が費やして書いている文字列に、
自分の心が振るわされるときがある。

その人は存在するのか、存在しないのかも分からないのに。
自分のことを認めてくれているのか、認めてくれているかもわからないのに。
その人が不安そうであれば自分も不安になり、
相手が幸せそうであれば、自分も嬉しくなる。

会ったことがなくても、
話したことがなくても、その人の発言に興味を持つ時があって。
それは、おそらく友達というより同志の感覚なのだと思っている。
ビアンという、同じ境遇にある「同志」。
だからこそ、文字列だけでも感じる思いがある。

数年のネット人生で、そんな同志を私は数人見つけている。
その人たちとは、数回会話をしているだけで、職場の人たちに比べたら、彼らの1日分も会話をしていないだろう。

でも私はこの関係で十分だと思っている。
彼ら、彼女たちに何かあっても私は駆けつけることはできないけれど、
でも後からでもその思いを共有できる人がいれば、それだけでありがたいと思っている。
勝手に私が刺激を受けているのだけど、この刺激は現実世界の生活しているだけでは得られない刺激なのだ。

もし友達を探しているビアンがいるならば、「同志」が見つかるといいなと思う。
相手の話に刺激を受けて、自分の思いも吐露できる、そんな同志が。

もちろん、ビアンに友達は不要だ、っていう人もいると思う。
確かに友達がいなくても、平気かもしれない。
器用な人にとって、悩みの解消法は現代は無限にある。

もし、ビアンのあなたに友達がいるならば、それはあなた自身の人望だと思う。
あなた自身が、本当に相手のことを考えていて、そして相手もあなたのことを考えていて、
そのバランスが素晴らしいのだと思う。

どうかその素晴らしい関係を、楽しんでください。

同性愛者の友達について、みんな様々な立場や考えがあると思うけれども、
全ての過程を、誰もが楽しめるといいよね。


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