このブログの行き着くトコロ

先日は記事を間違えて投稿しランキングに載ってしまい、ご迷惑をおかけしました。
また、いつも多くの方々に足を運んでいただいているようで、ありがとうございます。

 

 

ここには自分の過去を書くと決め、特化して書いているところですが、
過去の話については、とりあえず一通りを書き終え、下書きとして保存しました。
順調に投稿すれば、11月には全て投稿し終わります。
さて、そこでですが、
書き終わった後のこのブログをどうしようか考えています。

私は過去に、ブログで自分の思いを書きたいけれど、書くのを苦痛に思う時期がありました。
苦痛ならば書く必要はないわけですが、でも感情としては書きたかったのです。

 

不思議でしょ?
そんな私が、今ではブログを書いているのだから。

書いたら身バレする不安や、読み手が感じる感情を気にしてしまって、
言葉がなくなったのです。
例えば、恋人とお出かけして、内容を記事にしたとします。
さて、私はなぜ記事にしたのでしょう?

読んでくれる人に話したいからですが、”これって自慢じゃないのか”と思ったんです。
いや、私は特に自慢したいから書きたいわけじゃない。
でも書いている文章を読んでいると、自慢にしか思えなくなってしまったのです。
それから数年ブログを辞めて、沈黙をしていました。
だけれども私は、声を大にして言いたいことができたので、ここを作ってみました。

 

それが、隠れビアンだって存在できること。
無理してカミングアウトしなくたって大丈夫、隠れていたって大丈夫だということ。
そして社会に与えるビアンの印象を、少しでも変えること。

 

でも、もしかしたら、この私の思いって自慢かもしれません。
「何を偉そうに、記事を書いているんだ」
そう思われたら、きっと私の記事は自慢話以外、何物でもないでしょう。

だけれども、私は気づいたことがあるのです。
自分自身「伝えたい人」がいるのであれば、それは単なる自慢ではないのかもしれません。
私は、隠れているビアンに、こんなふうに過ごしてきた隠れビアンもいるんだということを、自分の過去の話を使って伝えたいです。
例え、その子がここを見ているのかどうか、わからなくとも。
いつか彼女の、また彼女のような人の道しるべであれたらと思っています。

 

そんな思いがあるので、特にネットで旅行の話や、恋人との思いについて書く気はありません。
もちろん、世の中には恋愛や普段の生活のことを記事にしている人たちはたくさんいます。
私もそれらの記事を読んでいますが、
でも自慢しているな、って思いながら読むことは稀です。
やっぱり、その人の生活が知りたいと思うからこそ、読みたくなるものですよね。
そう考えると、私の生活を知りたいと思ってくれている人がいるとすれば、私がここで日常を書くことに意義があるのかもしれません。

 

難しいところですね。
まぁ、数か月かけて、このブログの行き着くところを考えたいと思います。
もしご意見がありましたら、お気軽に書き込みをしてください。

 

 

下にランキングのタグを貼っています。
押してくださる方々がおられるため、このブログも上位に来ているのですよね。
ありがとうございます。
ん?ありがとうございます、っていうのもどこかおかしな話ですね。

正直、ランキングの上に行くことがいいことなのか、判断が付きません。
もちろん多くの方に見ていただくことは嬉しいですが、
でもあまりにも誰の目にも止まる位置にいることは、喜ばしいことではないとも思っています。

「他の方のブログを見に行ってみてください」
そう書かせていただいていますが、純粋に本心です。
ランキングに行くと、ホント様々な同性愛者の人がいますよね。
みなさん、それぞれ様々な価値観と、経験をされていて驚きます。
その中に、自分の価値観が少しでも反応する人がいれば、是非近づいてみるのがいいのではと私は思っています。
もしそのタグをクリックすることにより私のランキングを押し上げることに抵抗を感じるのであれば、
他の方のブログからでも全くかまいません。
多くのビアンの感性に触れて、いろいろなことを考えることができたらいいですね。

 

 

ビアンは、とても排他的な生き物だと私は思っています。
多様性の渦中にいるビアンが、排他的ってどうなんでしょうね。

もう一歩、踏み込むことができたらいいのにね。




つづく。



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