何が正しいのか。誰が決めるのか。

自分のことを「LGBT」だと知ったときは、ショックだった。

同性愛者、ではなくて、「LGBT」だと知ったときのこと。

「LGBT」という言葉に、私はなぜかいい感情を抱かなかった。
その根底には、LGBT=性的少数者という障害の要素を感じていたのだと思う。

障害、か。
障害なのかな。
今でも、自分に問いかける。
性的思考の、障害なのかな?と。

ガイドラインを読んでいるときに目に、
そして、性的指向が、異性に向くか(異性愛)、同性に向くか(同性愛)を 問わず、性的指向は自分の意思で変えることはできません。医学的にも、治療によって変えることができるものではなく、そのような事柄でもありません。
という言葉を目にした。

性的思考は、自分の意志では変えることができない。

児童ポルノが犯罪だとよく取り上げられているけれども、
児童ポルノは性的思考の一種だと思う。
何が良くないのかというと、ベクトルが子供に向いているという点。

だけれども、この児童ポルノの性的思考も、彼らの意志では変えることができない。
出さないように、ずっと隠して、生きていかなければならない。

こういうことを考えること自体、
「自分はLGBTなのだ」
と我に返るのだ。
LGBT。

一体、普通の人と何が違うのだろうと。
もしかしたら、異性に恋愛感情を抱く方が、障害かもしれないよね。
異性に恋愛感情を抱く不完全さが、同性に恋愛感情を抱く完全さを追い求めて、子供を作らせるとか。

でも、こういう異性愛と同性愛を比べる差別的な考えが、また自然に出てきてしまう自分の感情が不思議なのです。




つづく。



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