LGBTに特化した友達はどこまで必要なのか。

私が思う友達とは、
「お互いの生きる世界を尊重し、時に喜び、時に悲しみ、ただ必要以上にお互いの世界に交わらない。」
言葉で表すとそんなイメージなのかなと、最近考えています。

 

視覚的なイメージでいうと、
周期が違う惑星同士で、普段見ようと思えばお互いの惑星が見えるのですが、直接言葉を交わすのは年に数回、
そんな感じかな。

 

なんというのでしょうね。

相手の惑星を見つけたときは、すごく遠い位置にあるのです。
色もサイズも認識できないくらい遠いのですが、惑星だとは認識ができていて。
気になって観察しているとだんだんと惑星の色が見えてきてサイズも見えてくるのです。
そして、どんな考えを持つ人が住んでいて、どんな生活をしているのかが気になりはじめます。
いつしか相手もこちらの惑星に気づいていて、徐々に軌道が変わり、近づいてきます。
その速度は、とてもゆっくりでお互い一定です。

 

特に自分の生活を知ってもらいたいわけではない、特に自分の存在を知ってもらいたいのではない。

今という時を同じように生きているのですが、自分の人生に足りないものを、相手の惑星に見たいのです。

時には、声を投げかけるかもしれません。声を、投げかけられるかもしれません。
そうやって生活をして、いつか惑星は交わるのでしょう。

 

 

私の友人だと思っている人は、実はそんな存在の人たちだったりします。

 

 

でもこのような友人は、そもそも簡単に作ることはできません。

私が、単に食事をしたり、遊んだり、一緒の時間を過ごしたいから一緒に楽しんでくれる人を探しているという考えではないからです。

でも世の中にはすぐに集まりたかったり、解決しない愚痴をひたすら言いたい人っているじゃないですか。
私も昔はそのような人とも、「付き合い」と思って交友していましたが、今ではめっきりメモリー上の友人になってしまいました。

一緒にネズミーランドに行きたいとか、何かのイベントに参加してみたいとか顔を見せて行動を共にしたいとは、あまり思いません。

もちろん、参加することがあれば楽しいでしょうし、様々な経験ができるのでしょうけれども、
おそらく「その人」と「その行動」を共にする意味を、私は考えることになるでしょう。

 

何をして楽しむか、ではなく、
「誰と楽しむか」が、自分の中では重要です。

 

何をして楽しむか、が重要だと、
楽しいことをした後に、ちょっとした空虚な感じが訪れるのです。
祭りが去ったさみしさとでも言えるでしょうか。

だけれども、誰と楽しむかだと、
また次に会うことができるので、楽しさに終わりがないのです。

 

 

私も、随分と心がおばさんになったものです。
昔は彼女と会うことができない間に、彼女を思って、

 

今ごろ君は何をしているんだろう。
同じ空を見上げているだろうか。
私のことを考えてくれていたらいいな。

 

なんて詩的なことを考えたりもしていたけれど、
今では、

 

あと2時間もしたら仕事が終わるから、今のうちに頼まれたあの書類しとかなきゃ。そういえば、2ページ目の文章、確認を取ってない。

 

 

という、なんとも夢のないことばかり考えています。

 

飛んでいる飛行機を見上げるのが大好きな私とは違い、
彼女は空なんて滅多に見上げないことを知っていて。

彼女が考えているのは、夢と、それを叶えるためのことで、取り組んでいる時には私のことは考えていない。

でもしばらくして疲れたら、フラフラと必ずやってきて、ふにゃふにゃ甘えた後は私に数々の仕事を託し、
また彼女の生きがいに戻っていく。

 

どこで、なんの歯車が狂ったんだ?という感じが、未だにします。
「ただ二人で笑顔で生きること」
そんなことを目標に生きるような人間だったはずなのに。

 

こんなに人の人生に巻き込まれる恋を探していたわけではないのだけど、
でも今は、素直に楽しいです。

楽しい。
することがたくさんあって、毎日が早い。

 

私が生きる静的な世界とは違って、彼女の世界はとても動的で。
毎日見たこともない世界を見せてもらっている。
でもそれが。
まさに私がずっと望んできたことだから。

 

見たことのない世界を見てみたい。

こんな私がLGBTの人に、いったい何の個人的な話をすることがあるのだろう。
人に、何を話したらいいのか、わからないな。

 

時々メッセージを送りあうまぁちゃんさんってLの友達がいるのだけれど、
彼女には、ニュースのURLを送りつけたり、急な一言を送りつけたりしている。

彼女は丁寧に返してくれるのだけれども、
私は運転急だったり仕事が続いたりですぐに返せなくて、何となくタイミングが崩れるから、いつもそっけない感じなのだ。
気を悪くしてなかったらいいのだけれども。

 

でもそういうことも、
彼女のブログをず~っと見てきたから、彼女がこういうことを受け入れてくれるのではと、何となくだけれども私は思っているから、しているのだと思う。

彼女の言葉や雰囲気から、そういう感じをくみ取っている。

ありがたいなと思う。

 

でも、もうあの頃のような詩的な記事は書けないな。
もうすっかり既婚者的で、夢も本気過ぎてこんな場所には書けないし。

 

 

 

友達は、考えて作るものではないのだろうね。
ビアンであろうが、なかろうが。

私には、LGBTに特化した友人は、わざわざ必要ないかもしれない。
同じ考えの人がいたら、またそのうち出会うことができるのだろう。




つづく。



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